日本国内に大災害が起こった時の、被災地以外の国民の態度は難しいです。

今回の能登半島の大災害に際して、
被災地への支援ということについて私見を書きます。
最初に、言い訳から入りますが、10人いれば10通りの考えがあるでしょうし、それが当たり前だとも認識しています。
これを前提として読んでください。
『混乱した被災地へのボランティア活動にはシステムに多くの課題がある。』
東日本大震災の時には、国民のほとんどの人が、被災地のために何かしなければという気持ちを抱いたと記憶しています。
そして支援ボランティアも全国から、東北に流れ込みました。
実は私も、そんな人間の一人でした。 ここから反省です。
幸い、災害鍼灸プロジェクトという組織が立ち上がったので、塩竃市をベースにその傘下で鍼灸師として行動ができました。
そして大いに活躍した!・・・ ということにはなりませんでした。
特に離島などのへき地では、突然現れた部外者は当然警戒されました。
そりゃ、どこの馬の骨とも不明な人間が、鍼灸サービスをします・・。と言ってもね。
しかも、日中はがれき撤去など復旧作業で、子供老人以外はみな作業に追われています。
避難所に残された老人にとっても、若い人が皆苦労しているのに、自分ばかり鍼灸サービスを受ける事に対して、
大きな抵抗や遠慮があるのを感じました。
避難所内を営業して廻り、やっと数人ずつサービスを提供させてもらったのが現実です。
本音のところ、どれだけ被災者の方達に喜んでいただけたのか?お役に立てたのか?
今でも疑問に感じています。自信がありません。
それでも何とか活動を遂行できたのはマシな方だったかも知れません。
熱い気持ちだけで全国から兎に角やって来た、非常に多くのボランティア志願者は、
役所の前の広場で、一日中なにも作業の指示をもらえず無駄に待機を余儀なくされていました。
役所職員側では、被災地各地の情報が把握しきれない。
何処でどんな支援が必要なのかさえ把握できない。
ボランティアたちのスキルも把握できない。
インフラも被害を受けているし、被災者でもある現地職員のシステムが上手く機能しないのは当たり前です。
『ボランティア活動は被災地のため?自分達のため?』
何かイベントに参加するような心構えのボランティアは、被災地の人達を傷つけるかもしれません。
多くの企業や組織が支援に名乗りを挙げ、人員を送り込んできますが、
やたらと被災地の写真や動画を撮影したり、自分たちの活動と被災者を撮影して無断でSNSなどにとりあげる人間が発生します。
自分たちの営業活動やイメージ宣伝がその目的ではないかと姿勢に疑問を感じることがあります。
そういう私も、SNSなどに取り上げませんが、津波の大被害を受けた建物に思わずカメラを向けた経験を反省しています。
支援を受ける側は弱者の立場です。それをお忘れてはいけないと思います。
『まとめ』
今回の能登半島の大震災でも、前述のようなことが課題となる恐れがあります。
言いたいことはまだまだありますが、ここらでまとめます。
①東日本大震災や熊本大震災などの経験から、支援に関するノウハウ情報があるはずです。
支援を取りまとめる機関や組織はそのノウハウを大いに役立てて欲しい。
もし情報がバラバラならば国や行政がシステム化する必要があると思います。
②被災地の方は、一日でも早期の日常を回復したいはずです。
日常がみんなの幸せならば、被災地以外の国民は必要な時期に必要な支援の協力をしながら、
日常の生活を継続すべきではないかと思います。それを非難すべきではないと考えます。
日本国民は全体主義に陥りやす傾向があると思います。
様々な面において多様性を認め始めた日本社会ですから、
支援に対する想いについても「良い国民圧」をかけるべきではないでしょう。
この様な文章を書いている私自身も、もっと寛容にならなくてはいけませんね。
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